ブログに写真を掲載する機会が増えて写真センスがないことに気がつきました。
とっても美味しい食べ物が美味しく見えない、とってもかっこいいラウンジがかっこくよく見えない、とっても水圧が素晴らしいシャワーが頼りない水圧に見えてしまう。
この状況あまりよくありません。
写真も撮れない、マイルも取れない、こうなってしまってはツーアウト。WBC侍JAPANも真っ青です。
実際は彼女もいないのでスリーアウトでチェンジなんですけどその話は今はやめておきます。
先輩陸マイラーのブログ写真は生き生きとしています。
搭乗レポもラウンジレポも食レポもホテルレポも全てが輝いてみえます。写真は全くの素人ですが、みなさんの写真には構図などのテクニックだけでは語れない良さ、なんというか魂がこもっているように感じます。察するに大好きなものを真摯に撮っているからこそ写真に命が自然と宿って見る人の心に響くのだと思います。
自分が魂を込められる被写体はいったいなにか。
探しているのは平凡なものではなく、それを見ただけで身体の芯から燃えるような何かを感じるもの。ブログ人生ツーアウトの状況から逆転するにはそんな被写体が必要です。
想像ですが、写真雑誌にはきっと次のようなことが書いてあると思います。
”写真の被写体?
とにかく撮れ。
君が好きなものをとにかく撮って撮りまくれ。
すべてはそこからだ。”
1903年「ライトフライヤー号」で人類は初めて有人飛行に成功しました。
より高く、より速く、より遠くへ。今日、青空にみえるジェット雲の放物線は人類の夢と希望を乗せた飛行機発達の軌跡のように見えます。
1919年に始まった航空機内の客室サービスを担当したのはキャビン・ボーイズと呼ばれた少年3人だったと言われています。その少年たちは大空から見た地平線に何を想ったのでしょうか。飛行機の歴史にはいつも”その時代を映してきた客室乗務員”がいました。
キャビンボーイズ、エアガール、エアホステス、スチュワーデス、キャビンアテンダント、キャビンクルー、フライトアテンダント、フライトクルー、 客室乗務員。
呼び名は変わっても本質は変わりません。
客室乗務員を撮影することはただの嗜好ではないのです。
時代を映す鏡とも言える彼ら/彼女らを撮ることは、後世へ今を伝える大義名分があるのです。
よりかっこよく、より綺麗に、より艶やかに。
僕は写真が決して上手くない。
それでも僕は客室乗務員を通して”今”を撮りたい。
[大義名分はできたので、あとは本人から許可を取れれば写真とってもいいですよね?(\^0^/)]